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サロン
本と私B 〜詩誌「魚鱗」回想〜
税経管理第2部 部長 関根 清
昭和30年代、私は地元(銚子市松岸町)で発行されていた詩誌「魚鱗」
の同人となり、詩作及び雑誌発行を行っていた。その当時の回想である。
松岸詩話会発行の詩誌「魚鱗」はガリ版印刷のA4型一部20頁前後で
あり、詩、短歌、俳句、随想、時には小説等、様々な作品が載っていた。
今、手元にある現物から主な同人及び投稿者を見てみると以下の人があげ
られる。(敬称略)
谷裕(関谷裕規)、塩野総夫、印南健二、鈴木浅五郎、古川巌、宇佐美
朗、上村総一(鵜沢覚)、滝川正人、加藤忠哉、野中考悦(野中豊)
同人ではないが、谷氏の交友関係等から作品を寄せていただいた方に、
宮川寅夫、金坂花影、北田昌一、柏木源蔵、宮内水哉各氏があげられる。
「魚鱗」の特徴は今読み返してみると、上村氏、宮川氏等の随想にある。
上村氏は「星雲亭雑記」と題して、創刊号より第18号迄連載された。氏
は北川冬彦主催の詩誌「時間」の同人であり、かって、佐藤惣之助主催「詩
之家」の門下生で、永瀬清子等と机を並べていた方である。「魚鱗」第1
7号に書かれた「佐藤惣之助のこと」によると氏は昭和3年から7年まで
師事されていたという。
昭和初年頃の「詩之家」を中心とした詩人達との交友(潮田武雄、渡辺
修三、永瀬清子、伊波南哲等)がエピソードを交え、書かれたことは、今
となっては貴重な資料かと思われる。
宮川寅夫氏は、「支那の詩集のこと」、その他「小桃居消息」等を書かれ
た。氏は古美術の専門家であり、後に和光大学教授、日中文化交流協会理
事長等を務められた。(1984年没)
青年時代、政治運動に没頭し、後に会津八一の門に学ばれた。著書に「岡
倉天心」「会津八一の世界」「中国美術紀行」等がある。
「小桃居消息」は氏の「魚鱗」と関係のある人達との身辺雑記を報じた
内容である。第14号より抄録。
〜 半月ほど前、新宿の飲み屋で偶然、高橋新吉に会い、小酌した。す
でに大酔していた新吉は帰途を知らぬまでになっていた。−略−それ
から三四日して、これも1年ぶりで冬花亭(宮崎丈二)がひょっこり
あらわれた。この大人は老来ますます酒の艶を双頬にあらわしてきた。
さて次は逸見猶吉の弟の大野五郎があらわれた。これが最近1ケ月間
の「魚鱗」と関係ある交友録である。1954,4,14〜
この他、谷氏の「煙霧」「ぶらぶら歩く男」「黄瀛の交際」、北田昌一氏
の「秋の瞳−重吉雑記−より」等があげられる。
北田氏は八木重吉※と交友があり、重吉が神奈川県茅ヶ崎の南湖院に入
院していた様子が書かれている。晩年の重吉が病床で常に手のひら大の小
鏡をもっていて、食事の時以外は手放さなかった事等、これも貴重な資料
となっている。
このほか、加藤忠哉氏の訳によるT.Sエリオットの「J.アルフレッ
トブルフォクの愛の歌」(第14号1954年)等がある。
45年も昔、名もない一地方のガリ版誌にこの様な作品が載っていた事
に不思議な感じがするのは私だけか。
※八木重吉…1898年(明治31年)東京生まれ。詩人。詩集「秋の
瞳」他。1927年(昭和2年)病没。
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