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実行犯と呼ばれた人々

(1)新撰組 紀州藩士三浦休太郎が同藩の明光丸と土佐海援隊の伊ろ波丸と

の衝突沈没事件で、竜馬が紀州藩より賠償金を取った事を遺恨に思い新撰組

を使って襲撃させた。

(2)京都見廻組 組頭佐々木唯三郎の指揮で今井信郎、渡辺一郎、高橋安次

郎の三人が突入

(3)その他 暗殺指令者、後藤象二郎、実行犯、土佐の人間関係に詳しい頑

迷な保守派の剣の立つ人物。又は桑名藩士。薩摩藩士中村半次郎。山陵衛士

伊東甲子太郎。暗殺指令者、西郷吉之助、実行犯、京都見廻組。



暗殺と銚子との関連

 京都見廻組の中に今井信郎がおり、彼は直心影流免許皆伝の幕臣。鳥羽伏見

北越会津戦争に従軍最後は旧幕府海軍副総裁榎本武揚らと合流して函館戦争に

参加。一年有余圧倒的に優勢な官軍と死闘をつづけたが、明治2年5月ついに

投降した。即日斬首かと思われたが函館奉行永井尚志、新撰組隊長相馬主計等

と共に函館市中に護送され、明治3年2月更に江戸伝馬町の獄舎に移送された。

坂本竜馬暗殺事件の取り調べのためである。

 今井の証言(自分の役割は見張り役で直接手は下していない。渡辺吉太郎、

高橋安次郎、桂早之助が下手人である。)この三人は函館戦争でいずれも戦死

しており新政府も確認の手立てがなく今井は再訊問されることもなく、明治3

年9月禁固刑が確定。明治5年正月、刑部省付属伝馬町獄舎より放免。



 昭和46年 今井幸彦氏 「坂本竜馬を斬った男」を刊行 新人物往来社

 今井幸彦の父今井健彦は今井信郎の三男。明治8年4月静岡県に出仕した今

井信郎は大井川下流の初倉村に住み、村議、村長を永く歴任大正7年6月25

日逝去。78歳。

 銚子市史によると、銚子市名誉市民の今井健彦は、明治16年7月22日静

岡県に生まれている。名誉市民の今井健彦が今井幸彦の父今井健彦と同一人物

であるとしたなら、健彦は信郎の四十歳頃の子と推定できる。(敬称略以下同)

 天保11年(1840年)   今井信郎出生      推定

 明治 8年(1875年)4月 今井信郎静岡県に出仕  中村彰彦氏著書

 明治16年(1883年)7月 今井健彦静岡県にて出生 銚子市史

 大正 7年(1918年)6月 今井信郎静岡県初倉村にて

                逝去。享年78歳。   中村彰彦氏著書

 幕末維新史の中で最大の謎の一つとされる、坂本竜馬暗殺の実行犯について

は、史実上未だ明確にされていない。


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