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The Limit
of The Sky No.79 Page 7
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本来シリコンバレーは果樹園が多く、農産物が豊かで昔は“Valley of
Hearts Delight”(歓喜の渓谷)と呼ばれました。この地帯は1年中雨
が降らない為、電子産業には一番理想的な湿気がない天然の環境を持
っているし、近くにはStanford, Santaclara等名門大学があって、優
秀な人力を確保しやすい立地条件でもあります。
シリコンバレーと言う名前は1971年Santaclaraに住んでいた
エンジニアで半導体産業専門情報誌(MicroElectronics)編集者“Don
C. Hofler”がある雑誌に当時High-Techが集まっているSan Jose近
郊をシリコンバレーと書いた事がきっかけでした。しかし、シリコン
バレーと言う所は何処から何処までとははっきり区分するのが難しい
所で90年代初めにはSan Joseを中心にStanford大学があるPalo
Alto等、7個の都市をシリコンバレーと言いました。人口の比率は白
人が49%、南米系が24%、アジア系が23%となっており、85%
以上が高校卒業、37%は学士以上のレベルでアメリカの何処よりも
教育水準が高い所でした。
しかし、今のシリコンバレーはネクタイとスーツ姿ではなく、ジー
パンとTシャツ姿のVenture企業家の数がどんどん増えています。ま
た、そのシリコンバレーの境界ももっと広くなって、さまざまな人が
集まり、昨日の株式市場終値に従って数百万の億万長者が生まれて、
消える所がシリコンバレーで、現在約25万人の億万長者がシリコン
バレーに住んでいると推定されています。
このような変身を通じ、シリコンバレーは1990年代から情報通
信ネットワーク産業の中心として世界を主導しています。
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