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1・2    −幼児教育の原点、いい人生とは−

January・February  旭市で「こひつじ幼稚園」という名称で親しまれている旭鈴

木学園は、少子化にもかかわらず、園児が毎年増え、ずっと右肩上がりの成長を

続けています。顧客本位の経営姿勢、リーズナブルな保育費、原色の明るく楽し

い園舎や遊技具等々、その要因は数々あります。

 
 一番の要因は、前園長・理事長鈴木教道先生の教育哲学と私は思います。

 先生の遺稿から抜粋させて頂きます。

 『これから先は「少子化」の厳しい時代が続きます。しかし、人間がより豊か

な生活を求め、これを願っている以上、「教育の道」が衰退していくことはあり

ません。この仕事の盛衰は(成否)は、これを実践する人の「心のあり方」に全

てかかってきます。「真心こめて」どれだけ実行しているかどうかにかかってい

ます。この真心とは相手の人の心を良く見て、どれだけその人の心の中に入り、

理解しようと努めていく姿勢です。教育の仕事は「人とのふれあい・出会い」で

す。特に幼児教育は生まれて初めての集団の中でのひとの出会い・ふれあいです。

この「出会い・ふれあい」が楽しい、人間の成長の源になるような保育を期待し、

願っています。』  

 『この幼児教育の仕事は、大切な人間相手の仕事で、子供たちや保護者に接

するとき「こころを込めて、相手のこころの中に入り、その人のこころになって

対応」していく努力を続けるならば、必ず良い解決の道があると思います。人生

はよりよい「人間関係」が源だからです。そして、幼児教育の分野では「こころ

を込めての保育と、いかによりよい手本」を示してあげることが出来るかが、日々

の保育の中でもっとも大切なことです。』


 こういったお考えが根本にあり、教員の方々を指導されました。先生の思い

が直接又は、教員を通じて園児へ、その保護者に伝わります。またその保護者の

お知り合いに伝わります。こうして園児が増えていきました。

 現在は、先生の哲学を継承し、先生と共に園を経営し、幼児教育に携わって

きた立派な後継者がこひつじ幼稚園を引き継いでいます。

 近隣には、それぞれ個性的な幼稚園や保育園があります。皆それぞれの特徴

を生かし、健闘しています。自園の長所を伸ばし、他園の良いところは取り入れ

て、フェアープレーの精神で切磋琢磨し、この地域の幼児教育が地元の誇りにな

ればと願います。


 ある時、先生から「駐在員の家族からの要望で、フィリピンに幼稚園を作り

たいんだけど」と相談を受けました。監査法人時代の知人の会計士がフィリピン

在住でしたので、連絡を取り、検討したこともありました。「幼児の教育には母

親の教育が欠かせない。母親教室をやりたい」「幼稚園とは規制の違う保育園教

育もやってみたい」等々。発想が豊かで、チャレンジ精神に富んだ素晴らしい企

画が次々に出てきます。入園前の児童が、スムーズに園にとけ込めるよう、また

こひつじ幼稚園がどういう園か知ってもらうために、園に興味のある就園前の児

童を毎月一度、土曜に無料保育する試みは好評でした。

 一昨年、旭市の市長選出馬も検討されていると聴き、園の経営と同じように、

市民の声、心に耳を傾ける、豊かで柔軟な発想の素晴らしい市政が誕生すると期

待しました。


 『不器用ではあったが、いつも自分の周りには温かく見守ってくれる家族や

友人達でいっぱいであったように思う。…また、人生が楽しかったことはたく

さんの友人に恵まれたことです。』

 良き友人達の心のこもった感動的な弔辞がありました。少年時代は、けんか

が強く腕白だが正義感も強い、先生に愛された少年だったと初めて聞きました。



 『「人の命には限りがあるもの」です。自分の仕事や日常生活の中でしたいと

思うことはほとんど全部大過なく進めることが出来ました。思えばこれは皆様方

の日頃のご厚誼・ご友情の賜です。…

 丁度今年が還暦で、旅立つのにはまだ少し早いのですが、どうかお許し下さ

い。思えば、今までの人生が楽しいことばかりでした。感謝。』


 時に、先生の、長嶋茂雄氏に似たちょっと高音の声、朗らかな優しい話しぶ

り、楽しい会話を思い出します。同じ干支で一回り違う私が、一二年後、いい人

生だったと自分の人生を言い切れるか。言い切れるような日々を過ごしたいと思

う今日この頃です。

 合掌                            2002.12.11


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